カテゴリー「favorite CD」の記事

往年のヒット曲レビュー(22)/黛ジュン「雲にのりたい」

2009年5月28日 / favorite CD

このBlogには「アクセス解析」機能があり、その中には「検索語集計」なるものがある。これはどうも「検索サイトでどのようなキーワードを入力してアクセスしてきたのか」がわかる集計機能らしい。 先日、この「検索語集計」を何気なく見ていたら、いろいろチャートに関するキーワードがあった。特に1972年とか。


ご要望に応えて(?)なんとなく掲載してみるコーナーを作りましたw



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◆黛ジュン「雲にのりたい」


「雲にのりたい オリコンチャート 1969」というキーワードで検索して来られたようです。


黛ジュンについては 【往年のヒット曲レビュー(17)/黛ジュン(1968年3作品)】で詳しく取り上げているのでここでは省略しますが、この曲も名作です。


個人的にこの曲を知ったのは、確か長山洋子がアイドル歌手時代?にカヴァーした時だったと思う。当時の印象としては「昔の曲かぁ」程度だったと記憶している。元歌が黛ジュンだったということもこの時に知ったはずだがすっかり忘れていた。曲の良さのみ頭の片隅に残った感じでした。


最近黛ジュンを知るにつれ、元歌が彼女であることを改めて知り、やっぱり再評価が必要ですよ。そういえば近年黛ジュンがこの曲を歌っているのを見たことがないですが(おおよそ、レコ大受賞で有名になってしまった「天使の誘惑」か、セールス的に「夕月」かのどちらかしか見たことないなぁ・・・)、ぜひ今の時代にも歌って欲しいですね。あの独特の歌声で。


1969年紅白映像





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◇作品データ



黛ジュン「雲にのりたい」(7th SINGLE)
作詞:大石良蔵
補作詞:なかにし礼
作曲:鈴木邦彦
編曲:鈴木邦彦
発売:1969/06/01
品番:CP-1047(東芝音楽工業)
オリコン最高位:4位
オリコン登場週数:19週(100位以内)
オリコン売上枚数:305,100枚


 


◇「雲にのりたい」チャートアクション


日付——-順位–累積売上 ※「累積売上」は、オリコン得点修正後のもの
1969/06/09–79
1969/06/16–17–14,850枚 (1万枚突破)
1969/06/23—5
1969/06/30—4– 7.2万枚 (5万枚突破)
1969/07/07—4–10.2万枚 (10万枚突破)
1969/07/14—5
1969/07/21—5–15.6万枚 (15万枚突破)
1969/07/28—5
1969/08/04—7–20.6万枚 (20万枚突破)
1969/08/11—8
1969/08/18–10
1969/08/25–14–26.1万枚 (25万枚突破)
1969/09/01–15
1969/09/08–27
1969/09/15–41
1969/09/22–45
1969/09/29–53
1969/10/06–67–30.2万枚 (30万枚突破)
1969/10/13–78–305,100枚 (最終売上)

三木たかし氏死去

2009年5月11日 / favorite CD

黛ジュンのBlogを書いた時に「実兄」である三木たかし氏に触れたのがつい最近でした。

そんな矢先、訃報のニュースが。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090511-00000365-yom-ent

http://contents.oricon.co.jp/news/music/65997/full/#rk

ぜんぶ口ずさめるなぁ・・・

名作ばかりです。60年代、70年代から活躍された作家陣が若くして次々と亡くなられていきます。ご冥福をお祈りします。

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往年のヒット曲レビュー(18)/奥村チヨ(「恋」3部作)

2009年5月1日 / favorite CD

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◆奥村チヨ「恋の奴隷」「恋泥棒」「恋狂い」


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(Wikipedia より抜粋)


夙川学院高等学校在学中にドリンク剤のCMソング(小野薬品・リキ・ホルモ「昨日、今日、明日」)を歌ったことがきっかけで、卒業後の1965年に東芝から「あなたがいなくても / 私を愛して」でデビュー。和製シルヴィ・ヴァルタンとして売り出され、小悪魔的な魅力と甘えたような歌い方でたちまち人気を集める。黛ジュン・小川知子とともに東芝3人娘の一角を占め、「ごめんねジロー」(1965年)「北国の青い空」(1967年)などがヒット。さらに1969年に発表した「恋の奴隷」(100万枚突破)「恋狂い」「恋泥棒」のいわゆる「恋3部作」の爆発的大ヒットにより、人気歌手としての地位を確立した。それまでのコケティッシュな雰囲気に、新たに官能的な魅力も加わり、初めてNHK紅白歌合戦出場も果たす(NHKでは内部規則で「恋の奴隷」の歌唱が禁じられていたため「恋泥棒」を歌った)。


その後も「終着駅」(1971年、100万枚突破)などのヒットを飛ばすが、1974年に「終着駅」の作曲者である浜圭介と結婚、芸能界の第一線を退く。


(略)現在も旺盛な歌手活動を続けており、古巣東芝EMIからも新譜・旧作が続々とリリースされている(『GOLDEN☆BEST 奥村チヨ』など)。


(略)


なお2008年3月7日にTBSで放送された「売れなきゃよかった…金曜日の告白SP!大壮絶人生」によると、代表曲「恋の奴隷」が、男性に従属的な歌詞であったため、奥村自身は歌うのを嫌っていたという。また、この歌のイメージにより、当時、自宅周辺にストーカーが多数、出没したという。
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和製シルヴィ・ヴァルタン? どこかで同じようなフレーズを聞いたような・・・
でもシルヴィ・バルタンは小悪魔だ。まさに奥村チヨも小悪魔だ。歌い方が。でも、やっぱりウマい。
歌姫と言っても過言ではないくらいウマく、かついろいろな歌い方をして聞き手(特に男)を翻弄させる。
ウマい。安定感も抜群。いや、奥村チヨは「歌姫」そのものだ。


<浜 圭介>
1946年4月8日生まれ。牧幸次の芸名で歌手として「波止場のロック」でデビューしたが、その後作曲家に転身(平尾昌章みたいだな・・・)、ミリオン級セールスのヒット曲を連発している。


(代表曲一例)
奥村チヨ 終着駅 (1972年)
内山田洋とクール・ファイブ そして、神戸
三善英史 雨
北原ミレイ 石狩挽歌 (作詞: なかにし礼)
八代亜紀 舟唄 (作詞: 阿久悠)
八代亜紀 雨の慕情 (作詞: 阿久悠)
森昌子 哀しみ本線日本海
島津ゆたか ホテル (作詞: なかにし礼)
桂銀淑 すずめの涙
高山厳 心凍らせて


 


恋の奴隷 <NETテレビ(テレビ朝日)・歌のグランドヒットショー>
当時22歳くらいか。


 


恋泥棒 1969年12月31日紅白歌合戦
当時22歳。曲紹介をしている、たどたどしさを醸し出している女性は誰だろう・・・と思うのら。
初出場にもかかわらず、しっかりとゆるぎない歌声で小悪魔的に歌い切っているところがすごいなぁ。


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◇作品データ・歌手データ


奥村 チヨ(歌手)
本名:金野 智代(こんの ちよ)・旧姓 奥村
生年月日:1947年2月18日



奥村チヨ「恋の奴隷」(17th SINGLE)
作詞:なかにし礼
作曲:鈴木邦彦
編曲:川口 真
発売:1969/06/01
品番:TP-2162(東芝音楽工業)
オリコン最高位:2位
オリコン登場週数:28週(100位以内)
オリコン売上枚数:520,250枚


◇「恋の奴隷」チャートアクション


日付——-順位–累積売上 ※「累積売上」は、オリコン得点修正後のもの
1969/06/16 — 69 
1969/06/23 — 31 — 10,950枚 (1万枚突破)
1969/06/30 — 24 
1969/07/07 — 16 
1969/07/14 — 12 
1969/07/21 — 13 —  6.6万枚 (5万枚突破)
1969/07/28 —  7 
1969/08/04 —  5 — 11.6万枚 (10万枚突破)
1969/08/11 —  2 
1969/08/18 —  2 
1969/08/25 —  2 — (20万枚突破)
1969/09/01 —  2 
1969/09/08 —  2 
1969/09/15 —  2 
1969/09/22 —  3 
1969/09/29 —  6 — 40.1万枚 (40万枚突破)
1969/10/06 —  6 
1969/10/13 — 10 
1969/10/20 — 14 
1969/10/27 — 14 
1969/11/03 — 23 
1969/11/10 — 24 
1969/11/17 — 41 
1969/11/24 — 50 — 50.4万枚 (50万枚突破)
1969/12/01 — 48 
1969/12/08 — 52 
1969/12/15 — 67 
1969/12/22 — 65 — 520,250枚 (最終売上)


 



奥村チヨ「恋泥棒」(18th SINGLE)
作詞:なかにし礼
作曲:鈴木邦彦
編曲:鈴木邦彦
発売:1969/10/01
品番:TP-2214(東芝音楽工業)
オリコン最高位:9位
オリコン登場週数:23週(100位以内)
オリコン売上枚数:266,550枚



◇「恋泥棒」チャートアクション


日付——-順位–累積売上 ※「累積売上」は、オリコン得点修正後のもの
1969/10/13 — 60 
1969/10/20 — 16 — 16,800枚 (1万枚突破)
1969/10/27 — 15 
1969/11/03 — 10 
1969/11/10 — 12 —  6.9万枚 (5万枚突破)
1969/11/17 — 11 
1969/11/24 —  9 — 10.5万枚 (10万枚突破)
1969/12/01 — 10 
1969/12/08 — 12 
1969/12/15 — 14 — 15.6万枚 (15万枚突破)
1969/12/22 — 13 
1969/12/29 — 17 
1970/01/05 — 16 
1970/01/12 — 15 — 21.1万枚 (20万枚突破)
1970/01/19 — 16 
1970/01/26 — 22 
1970/02/02 — 28 
1970/02/09 — 32 
1970/02/16 — 36 — 25.5万枚 (25万枚突破)
1970/02/23 — 64 
1970/03/02 — 76 
1970/03/09 — 95 
1970/03/16 — 100 — 266,550枚 (最終売上)



 



奥村チヨ「恋狂い」(19th SINGLE)
作詞:なかにし礼
作曲:鈴木邦彦
編曲:川口 真
発売:1970/02/05
品番:TP-2250(東芝音楽工業)
オリコン最高位:7位
オリコン登場週数:16週(100位以内)
オリコン売上枚数:214,230枚


◇「恋狂い」チャートアクション


日付——-順位–累積売上 ※「累積売上」は、オリコン得点修正後のもの
1970/02/16 — 80 
1970/02/23 — 16 — 15,800枚 (1万枚突破)
1970/03/02 —  7 
1970/03/09 —  7 —  6.2万枚 (5万枚突破)
1970/03/16 —  8 
1970/03/23 —  8 — 10.4万枚 (10万枚突破)
1970/03/30 —  8 
1970/04/06 —  8 
1970/04/13 — 12 — 16.3万枚 (15万枚突破)
1970/04/20 — 15 
1970/04/27 — 18 
1970/05/04 — 25 
1970/05/11 — 34 — 20.4万枚 (20万枚突破)
1970/05/18 — 49 
1970/05/25 — 69 
1970/06/01 — 94 — 214,230枚 (最終売上)



 

往年のヒット曲レビュー(17)/黛ジュン(1968年3作品)

2009年5月1日 / favorite CD

「黛ジュン」はもっともっと再評価されても良いのではないか?


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1967年2月にシングル「恋のハレルヤ」で登場。それまで演歌、ムード、青春歌謡が主力だった日本の歌謡界の大転換期を、黛ジュンがミニスカートで「恋のハレルヤ」を歌ってビート・ガールの時代を幕開き、かつその先頭に立って牽引した女性シンガー。独特のパンチの効いた歌声や楽曲の質の高さなど、どれを取ってもゆずれない魅力なのだ!


◇黛ジュン・歌手データ


黛ジュン(歌手)
本名:渡辺 順子
生年月日:1948年5月26日
出身:東京都調布市
実兄:作曲家・三木たかし


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(Wikipedia より抜粋)
中学卒業後、本名で各地の米軍キャンプにジャズ歌手として巡る。1964年に渡辺順子の名でデビューもヒットせずに1967年に黛ジュンと改名して「恋のハレルヤ」でレコード会社を変えて再デビュー。ミニスカートと共に、パンチの効いた歌声で、一気に注目を集める。1968年にリリースされた「天使の誘惑」はさらに大ヒットとなり、その年の第10回日本レコード大賞に輝いた。1967年から1968年の2年間で、レコード売上が500万枚を記録。自身の歌と共に、その歌が主題歌となった映画にも出演。「天使の誘惑」「夕月」では主演に抜擢、売れっ子女優にもなった。
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(goo音楽 より抜粋)
その後人気は低迷するが、80年には映画のイメージ・ソング「風の大地の子守唄」が久々にヒット。83年に三越事件をモデルにしたポルノ映画『女帝』に主演し話題を呼んだ。現在はディナー・ショウを中心にステージ活動を続けている。また私生活では恋多き女としても有名で、2回の離婚を経たうえ、最近では作詞家の里村龍一と入籍から2ヶ月で破局し、ワイドショウを騒がせた。
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レコードセールス的に、東芝三人娘(黛ジュン、奥村チヨ、小川知子)と呼ばれたように(それほど広くは浸透せず)、東芝の1960年代後半の邦楽稼ぎ頭に含まれていた黛ジュンだ。


オリコンチャート正式開始前の1967年1st「恋のハレルヤ」については売上が不明だが、感覚的には50~100万枚は売れたのでは。何しろ1967年~68年で「500万枚」(大本営発表)を売り上げたという歌手だ。


なお、次の次の記事では、オリコン1968年・1969年の歌手別売上枚数TOP30を公開します。


歌もうまく、パンチの効いた(パンチって語源は何だ?)独特の歌声・黛ジュンを見ていこう。



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◆黛ジュン・作品データ「乙女の祈り」


「一人GS」の真骨頂。かなり好きだ。


「乙女の祈り」~「天使の誘惑」~「夕月」3曲実写版
当時20歳くらいか。


 




黛ジュン「乙女の祈り」(3rd SINGLE)
作詞:なかにし礼
作曲:鈴木邦彦
編曲:鈴木邦彦
発売:1968/01/05
品番:CP-1012(東芝音楽工業)
オリコン最高位:2位
オリコン登場週数:18週(100位以内)
オリコン売上枚数:315,400枚



◇「乙女の祈り」チャートアクション


日付——-順位–累積売上 ※「累積売上」は、オリコン得点修正後のもの
1968/01/04 — 75 
1968/01/18 —  8 — 24,050枚 (1万枚突破)
1968/01/25 —  6 
1968/02/01 —  4 —  7.9万枚 (5万枚突破)
1968/02/08 —  3 — (10万枚突破)
1968/02/15 —  2 — (15万枚突破)
1968/02/22 —  8 
1968/02/26 —  8 — 21.1万枚 (20万枚突破)
1968/03/04 — 12 
1968/03/11 —  9 
1968/03/18 — 13 — 26.4万枚 (25万枚突破)
1968/03/25 — 15 
1968/04/01 — 22 
1968/04/08 — 27 
1968/04/15 — 36 — 30.2万枚 (30万枚突破)
1968/04/22 — 44 
1968/04/29 — 53 
1968/05/06 — 75 — 315,400枚 (最終売上)


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◆黛ジュン・作品データ「天使の誘惑」


1968年・第10回日本レコード大賞の「大賞」を受賞したこの曲、セールス的には他にも上回っている他者の作品は多数あるのだが、今にも通用するメロディーラインや、当時としては斬新的なアレンジ(推測)など、確かに当時の日本歌謡界の方向性を変える様な作品であり、ある意味「大賞」にふさわしいかもしれない。やっぱり「ひとさしゆび」の振り付けがポイントだなこれは。


1968年12月28日放送/レコード大賞開始10周年を記念した特別番組「10周年記念音楽会」
当時20歳。


アレンジが安っぽい。断然レコード盤(ステレオ)の方が聞き応えアリ!


ちなみに黛ジュンが「1968年以降」に最高セールスを記録したのは次の「夕月」である。しかしながら、「天使の誘惑」がレコード大賞を受賞したからか、その後のいわゆる「ナツメロ」番組でも、「天使の誘惑」が歌われることが多いようだ。以下、年を追って「天使の誘惑」を歌う映像を・・・


天使の誘惑(1987)
当時39歳くらい。


天使の誘惑(1999)
当時51歳くらい。見た目、かなり若い。


天使の誘惑(2008/10/21 国営チャンネル歌謡コンサート 「なかにし礼特選名曲集」)
当時60歳。さすがに老い感は否めないが、肌は若く(見える)、目元や頬の膨らみ具合、人差し指や顔の節々の表情などは、黛ジュンにそっくり。(本物だよ・・・)往年を彷彿させ、まだまだ若いと思いました。「ひとさしゆび」は健在。


天使の誘惑 ~ 松田聖子
「聖子ちゃんカット」時代なので1980年代前半くらいと思われるが、松田聖子がカバーして歌っている。違和感ないのが不思議だ。松田聖子の作品だとスルーしてもおかしくない。


天使の誘惑95(1995)
当時47歳くらい。これはやめてほしかったですな。(アレンジが)


 




黛ジュン「天使の誘惑」(4th SINGLE)第10回日本レコード大賞曲
作詞:なかにし礼
作曲:鈴木邦彦
編曲:鈴木邦彦
発売:1968/05/01
品番:CP-1027(東芝音楽工業)
オリコン最高位:3位
オリコン登場週数:27週(100位以内)
オリコン売上枚数:468,240枚



◇「天使の誘惑」チャートアクション
日付——-順位–累積売上 ※「累積売上」は、オリコン得点修正後のもの
1968/05/06 — 69 
1968/05/13 — 19 — 13,350枚 (1万枚突破)
1968/05/20 — 11 
1968/05/27 —  3 —  6.2万枚 (5万枚突破)
1968/06/03 —  4 
1968/06/10 —  4 
1968/06/17 —  3 
1968/06/24 —  3 — (20万枚突破)
1968/07/01 —  4 
1968/07/08 —  4 
1968/07/15 —  3 — 30.1万枚 (30万枚突破)
1968/07/22 —  7 
1968/07/29 —  6 
1968/08/05 —  9 
1968/08/12 —  9 
1968/08/19 — 12 — 40.6万枚 (40万枚突破)
1968/08/26 — 16 
1968/09/02 — 20 
1968/09/09 — 24 
1968/09/16 — 30 
1968/09/23 — 53 — 45.0万枚 (45万枚突破)
1968/09/30 — 80 
1968/10/07 –100 


1968/12/23 — 97 
1968/12/30 — 59 
1969/01/06 — 63 
1969/01/13 — 77 — 468,240枚 (最終売上)


 


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◆黛ジュン・作品データ「夕月」


黛ジュンの中では、「恋のハレルヤ」か、この「夕月」がトップセールスに入ると思われます。「夕月」に関しては、初登場でトップ10入りを果たすという、当時としては「タイガース」しか成しえなかった快挙を達成し、黛ジュン人気がすさまじいものであったことを証明しています。しかし不運にも7週連続2位止まりで、結局1位に到達することは出来ませんでした。その1位を阻んでいたのが、オバケヒットのピンキラ「恋の季節」だったのだ。残念。


なお、この曲の「作曲・編曲」を担当している 三木たかし は、黛ジュン の実兄です。


<三木たかし>
1945年1月12日生まれ。歌謡ポップス界から演歌界まで多大な貢献を果たす。


(代表曲一例)
わらべ めだかの兄妹
わらべ もしも明日が…。
石川さゆり 津軽海峡・冬景色(作詞:阿久悠)
テレサ・テン つぐない
テレサ・テン 愛人
テレサ・テン 時の流れに身をまかせ
テレサ・テン 別れの予感
バーズ ふり向くな君は美しい(作詞:阿久悠)※全国高等学校サッカー選手権大会テーマ曲
森山良子 禁じられた恋(作詞:山上路夫)
浅丘ルリ子 愛の化石
西川峰子 あなたにあげる
あべ静江 コーヒーショップで(作詞:阿久悠)
五木ひろし 追憶(作詞:阿久悠)
伊藤咲子 きみ可愛いね(作詞:阿久悠)
岩崎宏美 思秋期(作詞:阿久悠)
柏原芳恵 待ちくたびれてヨコハマ
西城秀樹 君よ抱かれて熱くなれ(作詞:阿久悠)
西城秀樹 ブーメランストリート(作詞:阿久悠)
坂本冬美 夜桜お七
山口百恵 愛に走って


<これもなのか・・・>
島本須美 涙の中の悲しみよ
島本須美 水色の空へ


 


夕月<NETテレビ(テレビ朝日)・歌のグランドヒットショー>
当時20歳。


 




黛ジュン「夕月」(5th SINGLE)
作詞:なかにし礼
作曲:三木たかし
編曲:三木たかし
発売:1968/09/10
品番:CP-1031(東芝音楽工業)
オリコン最高位:2位
オリコン登場週数:25週(100位以内)
オリコン売上枚数:662,730枚


◇「夕月」チャートアクション


日付——-順位–累積売上 ※「累積売上」は、オリコン得点修正後のもの
1968/09/23 —  6 —  2.5万枚 (1万枚突破)
1968/09/30 —  3 
1968/10/07 —  2 — 11.0万枚 (10万枚突破)
1968/10/14 —  2 
1968/10/21 —  2 — 20.0万枚 (20万枚突破)
1968/10/28 —  2 
1968/11/04 —  2 
1968/11/11 —  2 — 33.5万枚 (30万枚突破)
1968/11/18 —  2 
1968/11/25 —  3 — 42.0万枚 (40万枚突破)
1968/12/02 —  3 
1968/12/09 —  4 
1968/12/16 —  5 — 51.7万枚 (50万枚突破)
1968/12/23 —  8 
1968/12/30 —  8 
1969/01/06 — 11 
1969/01/13 — 11 
1969/01/20 — 14 — 61.0万枚 (60万枚突破)
1969/01/27 — 12 
1969/02/03 — 17 
1969/02/10 — 34 
1969/02/17 — 42 — 65.2万枚 (65万枚突破)
1969/02/24 — 48 
1969/03/03 — 64 
1969/03/10 — 89 — 662,730枚 (最終売上)



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うーん、欲しくなってきた・・・


~天使の誘惑~ 黛ジュン・コレクション
http://familyclub.ne.jp/info/mayuzumi/


紙ジャケ盤CDも出てるんだよね・・・


「黛ジュン」をもっともっと再評価しよう。

往年のヒット曲レビュー(16)/恋の季節

2009年5月1日 / favorite CD

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◆ピンキーとキラーズ「恋の季節」


(Wikipediaより抜粋)
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1968年結成のボサノバ・グループ。ピンキー(今 陽子)は、1966年上京して いずみたく に師事し、1967年、15歳でビクターレコードよりソロ歌手として「甘ったれたいの」でデビューしたが全く売れず。1968年キングレコードに移籍後、ピンキーとキラーズのヴォーカリスト・ピンキーと、男性ボーカル4人ジョージ浜野(ギター、1941年1月1日 – )、エンディー山口(ギター、1945年6月12日 – )、ルイス高野(ベース、1947年1月14日 – )、パンチョ加賀美(ドラムス、1944年2月21日 – )という組み合わせで結成。山高帽(ダービーハット)をトレードマークにしていた。特に、デビュー時のピンキーの山高帽に黒のパンタロンスーツという出で立ちは目を引いた。


デビュー盤『恋の季節』のライナーノーツには『セルジオ・メンデスを目指す新進気鋭のグループ』と書かれていた。


デビュー曲の「恋の季節」(岩谷時子作詞、いずみたく作曲)は発売直後から爆発的ヒットを記録し、オリコンで17週間1位となるミリオンセラーとなり、レコード史に残る驚異の240万枚(キング発表による)を売り上げた。ピンキーの伸びのある歌唱力抜群のアルトと男声4人の低音の利いたコーラスの対比と振り付け、幼児までも口ずさめるほどわかりやすくそれでいて意味深な歌詞、そしてトレードマークの山高帽の斬新さが大ヒットへとつながり、「第10回日本レコード大賞新人賞」を始め、数々の新人賞を総なめにし、第19回NHK紅白歌合戦では男女混合グループとして初の出場を決めた。また1969年2月、同名映画が彼ら主演のもとに松竹にて製作され、公開される。
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第10回日本レコード大賞(1968年)の「作曲賞」「新人賞」を受賞したこの曲、今聞いても色褪せず逆に新鮮味を帯びている。大ヒットの要素として、上記のように大人から子供まで誰もが口ずさめ、かつ話題性もあるということは大事でしょう。そう、かつてのオバケヒット、「女のみち」のように。いずれも当時僕は生まれていないがw


ピンキーは1968年当時16、7歳。下の1969年「歌のグランドヒットショー」の映像を見ると、20歳代にも届かないピンキーの初々しさが新鮮であり、それを指し示すかのように目がキラキラと輝いている(ように見える)ところが何とも言えず好きだ。


 


1969年<NETテレビ(テレビ朝日)・歌のグランドヒットショー>


 


1969年2月には、同名の映画が作られている。

映画


 


また、ピンキーは歌がうまい。正攻法(?)とも言える歌唱法で、常に安定している。以下、紅白初出場にも関わらず、しかも17歳でこの肝が据わったような態度で場を楽しんですらいる笑顔・歌の安定さは、賛美の拍手を送らずにはいられない。


1968年紅白


 


そんな中でも、珍しい映像を見つけた。歌の途中で泣いているのだ。
なお、何年か前の特番で関口宏がこのシーンを見た時、「おおぉうかわいいねぇ」と発言したこの発言内容が、1968年当時の17歳ピンキーに対する大人の感じ方を象徴しているように思える。


1968年レコード大賞(1968年12月21日渋谷公会堂で開催)


 1番はキラーズの演奏、以降はオーケストラ+キラーズという重奏で完成度の高い編曲になっている。


話は変わるが、上記の映像で途中まるで主人公かのようにド真ん中で指揮棒を振りフリ画面に移っているカリあげ君、もといオジサマは、この曲を作曲・編曲した、当時38歳の「いずみ たく」氏である。↓




<いずみ たく>
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(Wikipedia より抜粋)
1930年1月20日 – 1992年5月11日、日本の作曲家。元参議院議員(第二院クラブ)。東京都出身。本名は今泉 隆雄(いまいずみ たかお)。


歌謡曲(演歌調からシャンソン風、ブルース、ポップスまで曲調はさまざま)から、フォークソング、CMソング、アニメソング、ミュージカル、童謡、校歌と幅広いジャンルの曲を作曲。多作で知られ、総作数は15,000曲にのぼるという。1969年には佐良直美の『いいじゃないの幸せならば』が第11回日本レコード大賞を受賞した。また、「歌はドラマである」という自らのモットーに基づいて、「見上げてごらん夜の星を」「洪水の前」「おれたちは天使じゃない」「歌麿」「船長」「死神」など多数のミュージカルを手がけた。
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他には、「Love & Piece」のモットーもあったと聞いたことがある。代表曲としても名作が多い。
(一例)
・中村雅俊 ふれあい
・由紀さおり 夜明けのスキャット
・青い三角定規 太陽がくれた季節
・いずみたくシンガーズ 帰らざる日のために
・岸洋子 希望
・坂本九 見上げてごらん夜の星を
・佐良直美 世界は二人のために
・佐良直美 いいじゃないの幸せならば
・ザ・ドリフターズ いい湯だな
・ゲゲゲの鬼太郎
・手のひらを太陽に
・伊東温泉ハトヤホテル・伊東に行くならハトヤ
・チョコレートは明治(明治製菓)
・徹子の部屋(テレビ朝日系)のテーマ曲


1970年代前半、「いずみたくシンガーズ」なるものも結成したようだが、上記「38歳のいずみたく」と比べて、「いずみたくシンガーズ」時代にはちょっと何かを意識した模様・・・↓



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話は戻るが、この曲は紛れもなく「昭和」を代表する曲だと思う。
なお、作詞は越路吹雪のマネージャーであり、大御所作詞家の岩谷 時子氏だ。現在90歳を超えているはず・・・。
フランス・ギャル「夢みるシャンソン人形」の訳詩もしてましたね。


 


◇作品データ・歌手データ



ピンキーとキラーズ「恋の季節」(1st SINGLE)
作詞:岩谷 時子
作曲:いずみ たく
編曲:いずみ たく
発売:1968/07/20
品番:BS-865(キング)
オリコン最高位:1位
オリコン登場週数:41週(100位以内)
オリコン売上枚数:2,077,130枚


※ピンキーとキラーズ(歌手)
  ピンキー:今 陽子(こん ようこ)(本名・今津 陽子 -いまづ ようこ)
  生年月日:1951年11月1日
  身長:168.7cm
  出身:愛知県東海市


 


◇「恋の季節」チャートアクション


日付——-順位–累積売上 ※「累積売上」は、オリコン得点修正後のもの
1968/08/12 — 84 
1968/08/19 — 63 
1968/08/26 — 42 — 11,930枚 (1万枚突破)
1968/09/02 — 29 
1968/09/09 — 12 
1968/09/16 —  2 —  (5万枚突破)
1968/09/23 —  1 —  (10万枚突破)
1968/09/30 —  1 
1968/10/07 —  1 
1968/10/14 —  1 —  (50万枚突破)
1968/10/21 —  1 
1968/10/28 —  1 
1968/11/04 —  1 
1968/11/11 —  1 —  (100万枚突破)
1968/11/18 —  1 
1968/11/25 —  1 
1968/12/02 —  1 
1968/12/09 —  1 
1968/12/16 —  2 
1968/12/23 —  1 —  (150万枚突破)
1968/12/30 —  1 
1969/01/06 —  1 
1969/01/13 —  1 
1969/01/20 —  1 
1969/01/27 —  3 
1969/02/03 —  3 
1969/02/10 —  5 
1969/02/17 —  7 
1969/02/24 —  9 
1969/03/03 — 12 — 200.4万枚 (200万枚突破)
1969/03/10 — 13 
1969/03/17 — 23 
1969/03/24 — 23 
1969/03/31 — 28 
1969/04/07 — 35 
1969/04/14 — 41 
1969/04/21 — 47 
1969/04/28 — 58 
1969/05/05 — 71 
1969/05/12 — 71 
1969/05/19 — 90 — 2,077,130枚 (最終売上)

Ruppina+ CD発売!!!

2009年3月16日 / favorite CD

Ruppina+ の再始動となる第一弾CDがリリースされました。


『Return to Tomorrow』



発売日:2009/02/22 単独イベント会場(池袋ROSA)で先行販売
発売日:2009/03/03 通販開始 ※発売は通販のみ
収録曲数:5曲収録の自主企画盤CD
備考:ツインジャケット仕様
価格:1,600円(税込)
品番:RPN-1122/インディーズ


収録曲: ※Mai Blog の「お知らせ」近辺から抜粋
1.ユメノハナ
「旅立ち」がテーマの作品。今作の鍵となる1曲。
2.Clear Sky
親友への応援歌。爽やかなアップテンポの作品。
3.Promised Lips
「輪廻」をテーマにしたストーリー。浮遊感のあるメロディが特徴。
4.tears rain
「涙」がテーマの切ない系ミディアムバラード。
5.komorebi+
「自分探し」がテーマ。主人公を優しく包みこむ木々がイメージ。


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もちろん入手しました。曲の感想については、過去のライヴレポートにあるのでここでは割愛・・・


次のステップになることを祈ります。


↓通販届いたよ~


往年のヒット曲レビュー(7)/虹色の湖

2009年3月16日 / favorite CD

久々のこのコーナー、youtube を彷徨ってたらふと急激に思い出した作品があったので取り上げてみようと思います。ただ、この曲は個人的にも好きなので、「Favorite」で取り上げます。



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◆中村 晃子「虹色の湖」


この曲を初めて聞いたのは確か1980年代前半~中半にかけてだったと思う。当時まだ小学生だったガキお子様がこの曲に心を奪われたw
この曲が発売されたのは、そのガキお子様が生まれてもいない1967年だ。(アイドルやおニャン子全盛だった1980年代でも、小学生で60年代の曲にハマるガキお子様は、そうそういなかった。なんちゅう子供時代だ・・・。でももちろんおニャン子のレコードも全部あるw)


この「虹色の湖」、良く言えば、いわゆる(?)「60年代キューティ・ポップ」だが、どうと言うことはない、いわゆる「一人GS」だ。


「一人GS」とは、65年頃から「エレキブーム」というのがあり、その後「GSブーム」へと続いていくのだが、歌謡曲もモロ影響を受け、曲調がGS風だったりGSが直接バックを務める歌謡曲が多くなった。それを称して「ひとりGS」と呼ばれているらしい。(ググった結果)


この曲は、今の時代からすればスロー気味のテンポではあるが、ドラムやエレキが随所に炸裂!でもメロディーの良さ、さらに中村晃子の、当時19歳にしては低めのVocal音域がと相まってちょうど良い懐に落ち着いている。ちなみにバックはオールスターワゴンという老舗エレキバンドらしい。久々に聞いたら新鮮だったよ・・・。なお、中村 晃子はこの曲のヒットで紅白歌合戦”に初出場している。



歌を歌う中村 晃子については、個人的には1980年頃の「恋の綱渡り」を「ザ・ベストテン」で見て初めて知ったと思う。確かその時の印象としては「なんかエロい格好をした怖いひとだなぁ・・・」という感情だった。まず、ヘアスタイルが当時ハヤりの不良女子高生のようなクドいパーマであり、その上で衣装が網タイツだったからだ。(網タイツは松坂慶子か誰かと混同している可能性あり)今に至っては・・・まぁ良いか。


しかしながら改めて中村 晃子の若かりし頃を調べた時、実はスゴい方だったことに気付く。


 


(ファンサイトより引用)
ttp://page.freett.com/akikofan/


「日本人で最初に海外版プレイボーイ誌のグラビアを飾り、初めてジーンズスタイルでTVに出演。当時は画期的であった曲ごとに衣装コンセプトを変えるというのも徹底していましたし衣装デザインもご本人の考案」


「1946年1月3日 千葉県習志野市に生まれる
1964年5月 松竹と正式に契約
1965年10月 シングル「青い落葉/東京のイブ」で歌手デビュー。キャッチコピーは”和製ブリジッド・バルドー”」


カッコいい・・・。


当時の映像を見る限り、歌の間はずっと眉間に皺を寄せたような真面目な顔で歌っているのだが、映像の最後の方で、踊りながら少し微笑むところが何とも魅かれるものがある。




でも今に至っては・・・まぁ良いか。


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何はともあれ、間違いなく60年代の名作の一つに入る作品だ。


 


◇作品データ・歌手データ


(1stジャケ/2ndジャケ)


中村 晃子「虹色の湖」(7th SINGLE)
作詞:横井 弘
作曲:小川寛興
編曲:森岡賢一郎
発売:1967/10/10
品番:BS-724(キングレコード)
オリコン最高位:3位
オリコン登場週数:23週(100位以内)(※)
オリコン売上枚数:354,700枚 (※)
(※)・・・オリコンの正式なチャート開始以降のデータ(1968/01/04付~)


※中村 晃子(なかむらあきこ/女優・歌手)
本名:同じ
生年月日:1946年1月3日
出身:千葉県習志野市
血液型:O型


 
◇「虹色の湖」チャートアクション


日付——-順位–累積売上 ※「累積売上」は、オリコン得点修正後のもの

(以下より以前の日付は不明)
1967/12/07–41
1967/12/14–29
1967/12/21–21
1968/01/04–10———————–(オリコンチャート 正式集計開始)
1968/01/18—7———————–(2週分集計/売上は1週分のみ)
1968/01/25—7–65,000枚—(5万枚突破・オリコンチャート 正式集計開始以降)
1968/02/01—5
1968/02/08—5–11.9万枚–(10万枚突破・オリコンチャート 正式集計開始以降)
1968/02/15—3–15.9万枚–(15万枚突破・オリコンチャート 正式集計開始以降)
1968/02/22—6
1968/02/26—9–20.4万枚–(20万枚突破・オリコンチャート 正式集計開始以降)
1968/03/04—8
1968/03/11–12
1968/03/18–14–25.7万枚–(25万枚突破・オリコンチャート 正式集計開始以降)
1968/03/25–14
1968/04/01–13
1968/04/08–15–30.2万枚–(30万枚突破・オリコンチャート 正式集計開始以降)
1968/04/15–18
1968/04/22–23
1968/04/29–20
1968/05/06–31
1968/05/13–61
1968/05/20–53
1968/05/27–69–35.1万枚–(35万枚突破・オリコンチャート 正式集計開始以降)
1968/06/03–66–354,700枚–(最終売上 ・オリコンチャート 正式集計開始以降)

往年のヒット曲レビュー(6)/あなたのとりこ

2009年3月15日 / favorite CD

このBlogには「アクセス解析」機能があり、その中には「検索語集計」なるものがある。これはどうも「検索サイトでどのようなキーワードを入力してアクセスしてきたのか」がわかる集計機能らしい。 先日、この「検索語集計」を何気なく見ていたら、いろいろチャートに関するキーワードがあった。特に1972年とか。


ご要望に応えて(?)なんとなく掲載してみるコーナーを作りましたw



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◆シルヴィ・バルタン「あなたのとりこ」


「シルヴィ・バルタン あなたのとりこ 昭和46年」というキーワードで検索して来られたようです。ただ、シルヴィ・バルタンは個人的にも好きなので、「Favorite」で取り上げます。


シルヴィ・バルタン(sylvie vartan)は、シャンソンにロック調のリズムを乗せた、つまり「イエ・イエ」フレンチ・ポップスの草分け的な存在である。自分の中ではフランスの4大「イエ・イエ」巨頭は「フランス・ギャル」「シェイラ」「フランソワーズ・アルディ」そしてこの「シルヴィ・バルタン」だ。


シルヴィ・バルタンはブルガリアの生まれ。8才の時、共産党独裁政権になったブルガリアをのがれて一家でパリへ移住した。


ロックンロールが、世界中の若者たちのハートを捕らえ、シャンソン一辺倒だったフランスでも新しいムーブメントが起こり始めた1961年、彼女が17才の時に、フランキー・ジョルダンとのデュオ「恋のハプニング」でレコード・デビュー。


フランス語は日本語と同様に、ロックのリズムに乗りにくい言語だ。大滝詠一らが日本語ロックの草分け的存在となり後日のJ-POPに与えた多大な影響力を及ぼしたのと同様に、フランスでも日本より一歩先にフランス語ロックを取り入れ、それが「イエ・イエ」として後日のフランスのミュージックシーンに多大な影響力を及ぼしたものである。


この新しいフランスの音楽を世界的に認知させたのが「イエ・イエの女王」と呼ばれるシルヴィ・バルタンだ。レイ・チャールズの「ホワット・アイ・セイ」を、シルヴィ・バルタンは二枚目の録音としてフランス語でカバーしましたが、この曲間に入る合いの手「イェー、イェー」が「イエ・イエ」の語源となった。


「イエ・イエ」の台頭とともに、フランス国内では次々とヒット・ナンバーを連発していたが、映画出演およびサントラとして使われた「アイドルを探せ」(La plus belle pour aller danser)で、日本でもシルヴィ旋風が巻き起こり、1965年に初来日。羽田に1000人のファンが詰めかけたという。「アイドル」の語源は、彼女の歌からきている。





その後も日本で数々のヒットを飛ばし、1966年に来日したときに 「レナウン・ワンサカ娘」のCMに出演。曲の詩から「イエ・イエ」という言葉が流行、イエイエ娘というニックネームもつき、「イエ・イエ」ブームが巻き起こった。なお、このCMに出演したのCMソングは、今でも日本語で歌える。





その他・・・
・プランタンが銀座に出店するとき、シルビーを相談役として起用、店作りに彼女の意見が取り入れられている。
・来日回数も多く、カタコトの日本語を話せる。
・1965年4月12日、フランスのトップスターロックンロール歌手である ジョニー・アリデイと結婚。1966年には息子のデビッド・アリデイが生まれるが1980年11月4日に離婚。その後、トニー・スコッティと再婚。
・大きな自動車事故にあったにもかかわらず、再起をはたした。


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彼女が日本のミュージックシーンに与えたものは大きく、今でも彼女の歌がCMソングに起用されたりなど幅広く愛されていると思う。


この曲もシルヴィ・バルタンの代表曲の一つであり、光りを失っていない。


なお、つい5~6年前の彼女はこんな感じである・・・↓




◇作品データ・歌手データ


1st/2nd



シルヴィ・バルタン「あなたのとりこ Irresistiblement」(日本16th/21th SINGLE)
作詞・作曲:J.Renard – G.Aber
発売:1969/01(1st)・1970/11/05(2nd)
品番:SS-1849・SS-1974(ビクター)
オリコン最高位:18位
オリコン登場週数:21週(100位以内)
オリコン売上枚数:117,800枚


※シルヴィ・バルタン Sylvie Vartan(歌手)
  生年月日:1944年8月15日
  出身:ブルガリア



◇「あなたのとりこ」チャートアクション


日付——-順位–累積売上 ※「累積売上」は、オリコン得点修正後のもの
1970/11/16-158
1970/11/23–83
1970/11/30–82
1970/12/07–53
1970/12/14–42—13,400枚(1万枚突破)
1970/12/21–33
1970/12/28–35
1971/01/04–27
1971/01/11–29
1971/01/18–24
1971/01/25–23—52,850枚(5万枚突破)
1971/02/01–20
1971/02/08–18
1971/02/15–19
1971/02/22–21
1971/03/01–29
1971/03/08–34
1971/03/15–36–105,350枚(10万枚突破)
1971/03/22–51
1971/03/29–66
1971/04/05–?
1971/04/12–?–117,800枚(最終売上)

Ruppina+ Live (4)

2009年1月30日 / favorite CD

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◆Ruppina+ 初の単独イベント決定♪
『Return to Tomorrow in ROSA』
2/22(日) 池袋LIVE inn ROSA
当日は再始動後の初音源『Return to Tomorrow』を先行販売☆
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1年以上経過して再始動後の音源初リリース。
それは嬉しいんだが、当日すでに絶対動かせない他の予定が・・・(汗)
ということで行きませんが、またやってくれるよね? たぶん。はぁ。

今年の楽曲レビュー(7)

2009年1月29日 / favorite CD

自分はつくづくガールズポップが好きなのだな~ と実感する。
その頂点は France Gall と Ruppina な訳ですが(自分の中でのみ)。
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◆大塚ちひろ「オメデトウ。」
そういえば2008年は全く更新していなかったなぁ。このコーナー。
ということで久々に。
久々のシングルは、ミュージカル「レベッカ」でのヒロイン抜擢を経て自信を経た上でのもの。
一回り大きくなりました。ジャケ写はうーむ・・・ あまり・・・ ジャケ写買いはしないと思う。
1曲目「オメデトウ。」は、オープニングがミュージカル調で始まり、当然その歌声もミュージカル的な歌い方。ちょっとビビりましたね。
でも歌はやはりかなり上手くなってる。「恋花火」の時は”ヘタウマ”的な雰囲気があったが、今回は大塚ちひろの可愛いらしいボーカルと上手くなった歌声がマッチして、「成長したな~」と感じさせるものになっています。
ただし、楽曲そのものは・・・ 可も無く不可も無く。なんかもったいない。耳に残らない。何回も聞いていくにつれて「あ、微妙にいいじゃん」と感じてくるのですが。
どっちかというと3曲目の「愛してく・・・」の方が何となく馴染みやすい。前作「恋花火」の c/w だった「ミルクティ」的な路線を継承し(ているような感じで)、聞いていて落ち着く。
2曲目の「約束」はバラード的な作品。初めてのタイプの作品のため、こちらはこちらで聞き応えがある。新たな発見だ。
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1月21日発売のため、1月27日発表(2月2日付け)のオリコンチャートが初登場週ということになるが、残念ながら200位以内には顔を出していない・・・。つまり「ランク外」(多くても発売第1週で287枚以下しか売れていない)。あぁ無常・・・
◇作品データ

大塚ちひろ「オメデトウ。」(2nd SINGLE)
作詞: Hikaru
作曲: Hikaru
編曲: 岩本正樹
発売: 2009/01/21
品番: VICL-36485
オリコン最高位:-位
オリコン登場週数:-週(200位以内;2009/02/02付まで)
オリコン売上枚数:-枚(200位以内;2009/02/02付まで)

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